もしあと一年で死ぬとしたら

今日は大学病院に行ってきました。

結果は、がんの方は、どうやら大丈夫。

そしてこれまた結構深刻なもうひとつの病気の方は、
良くも悪くもなってない。

2年以上もめちゃくちゃ頑張ってきたから、
良くなってないと聞かされて正直がっかりしました。

でも悪くなってないというのは、
文字通り、悪くないですね。

また手術を勧められましたが、
どう考えても今の体力ではかえって寿命を縮めるので、
お断りして帰ってきました。

ドクターには

「手術や薬を飲まないならココには来るな、
大学病院は研究機関なんだから」

とずいぶんはっきり言われまして、
こっちだって来たくなかったよ!
とちょっとムッとしました。

確かにココにいるのは、
お医者さんではなく研究者なのかもしれませんね。

機械がなきゃ自信を持って診断できないような
単なる国家資格取得者を私は医者と見なせませんし、

幅広い知識と精度とミスの少なさだったら
AIの方が上じゃないかと思うし、

そもそもこの人、なんで医学部に進んだんだろ、
とか色々思いましたが、

まぁどうせ時間が経てば異動でいなくなるのが
大学病院の人事ってものですから、
どっちにしろ二度と会うことはないでしょう。

そんなこんなで病院に来て約5時間後、
会計を済ませるべくエレベーターで降りるとき、ふと

「あと一年しか命がないとしたら、何をしますか?」

というよくある質問が浮かびました。

やり残したことは、なんですか? 執着は、ありませんか?

本やネットとかだと、
この質問が投げかけられたあと、
たいていは

「今まで取り組めなかった夢のリストに取り組もう」

という流れになることが多いようですね。

この質問に関しては、
過去何度か私なりに考えてきました。

何しろ単なる想定ではなく、
実際に余命半年からせいぜい1年もつかもたないか、
と告げられたことがありますから、
そりゃのんき者の私でもリアルに考えるってものです。

余命宣告された時は正直、
何もかも願いを手放しても未練はないってくらい、
命の砂がサラサラと流れていくのを感じてました。

子供の頃から貧乏だったもんだから、
お母さんと旅行に行ったこともなかったなぁ。

できれば一度くらい行ってみたかったけど、まぁいいや。
それより今は、眠りたい。

あの楽団のコンサートに行ってみたかったなぁ。
まぁいいや、別に。

疲れ切ると、こんな風になるもんなんですね。

このときホント痛感したのですが、

人間、欲を持たないとダメ

です。

それも大切な人のためとか
そんな綺麗な願いなどではなく、

できればもっとギラギラした
自分本位でわがままな欲望の方が、
いざという時に命をつないでくれると思います。

執着あまりに捨てすぎて身軽になりすぎると、
そのままホントにぷかぷか浮いて
昇天しかねないんじゃないかと。

欲望も執着も、この肉体への錨っすよ、イカリ。

今までの人生で一番後悔してること

そんないろいろ執着手放して昇天しかけてた私にも、
二つだけ後悔してたことがあります。

ひとつめは、あまりにも体が動かなくなって、
生前整理ができなくなったこと。

通帳集めるのと、
インターネット関連の解約をするのが精一杯でした。

そしてもうひとつは

「あのとき、もっと優しくしていれば」

ということ。

ひょっとしたらさっき書いたことと
矛盾するかもしれませんが、
正直この後悔の方が大きかったですね。

だからなんとか持ち直した今も、
断捨離には相変わらずなかなか手が出せなくても、
家族や友人、ペットには、
そのときにできる限りの愛情を表現するようになりました。

夢を追うだけではない、もうひとつの選択

あと一年しか生きられなかったら、どうするか。

何度か考えてきました。
そして出てくる結論はいつだって同じ。

「今と同じ毎日を続ける」

です。

今と同じく、かなえたい夢や願いに向かって
そのときにできることを、できる範囲で黙々と。

人間結局、それしかできないんですよね。
お金がいっぱいある人ならどうだかわかりませんが。

特に私は若いころ
地に足が付いてない部分が多かったので、
そのときそのときの課題に向き合うということから
逃げ続けてきた自覚があります。

だから現実の悩みや生活から逃げずに
目の前の出来事ひとつひとつに向き合うということ自体が、
今まで叶えてこなかった「やり残したこと」であり、
成長したいという魂の無意識の願いでもあるでしょう。

だから一見地味だけど、
これでいいんだと思います。

あなたがやり残したことは、なんですか?
あと一年しか生きられないとしたら、
何をやりたいですか?

後悔のない生き方なんて
そうそう簡単にはできないと思うけど、
だからこそ生きてるって素晴らしいですよね。