一人暮らしを機にテレビのない生活にすっかり馴染んでしまったので、
普段はほとんどテレビを見ません。
よく見たな〜って月でも、トータル4時間くらい。
いったんテレビのない生活に慣れてしまうと、
特にドラマなど毎週決まった時間を束縛されるみたいで、不自由です。
でも、久しぶりに見てみたいなってドラマが今季はありました♪
それが、TBS日曜劇場で7月17日(日)からスタートする「仰げば尊し」。
神奈川県立野庭(のば)高校吹奏楽部の実話を元にしたドラマだそうです。
中学時代に吹奏楽部で燃え尽きた私としては、もうこれだけで注目。
内容は、寺尾聡演じる元サックス奏者が、
問題児だらけの高校吹奏楽部の顧問に就任して生徒たちをひっぱり、
“音楽の甲子園”を目指す、というちょっと夢みたいなストーリーです。
なんでちょっと夢みたいか?
日本の吹奏楽部は、レベルが高い
なんでちょっと夢みたいかというと、わずか一、二年で“音楽の甲子園”こと、
全日本吹奏楽コンクールの檜舞台に立てることって、
まずありえないほど困難なんですね。
だから最初、関東大会でのトップだと思ってしまいました。
でも調べてみたら
なんと野庭高校はその翌年(1983年)、県大会のみならず関東大会をも突破して全国大会に進み、そこで金賞を受賞します。
とあるじゃないですか。
関東大会でもありえないのに、全国大会で金賞とかミラクル過ぎます。
野庭高校が活躍したのは1980年代〜90年代半ば。
こんな伝説的な高校、お恥ずかしながら今回はじめて知りました。
なんで知らなかったんだろ?
千葉県だと市立柏や市立習志野という、
憧れの2大超強豪校が身近にいたので、そのせいかも。
日本の吹奏楽コンクールのレベルはおそろしく高いです。
聞いてみればわかります。コンクールでの演奏がCDで何枚も出ていますから。
たとえば、これ。イチカシこと市立柏高校吹奏楽部の演奏。
全国の吹奏楽部員たちは、
いつか全日本吹奏楽コンクール全国大会の会場・普門館(=“音楽の甲子園”)で
演奏できる日を夢見て、日夜厳しい練習に埋没しています。
そんなハイレベルな戦いに、数年で参戦だなんて。
でも個人的にこのストーリー、ひとごととは思えなかったり。
荒廃した学校で、問題児をひきいて快進撃。
今回モデルになった野庭高校には負けると思いますが、
うちの学校の吹奏楽部も私が一年の時まで、ちょっと荒廃してました。
いや、さすがに窓ガラス壊して回るような生徒は
(吹奏楽部には)いませんでしたが、
私が入部した時には練習もろくにしないくせに威張り散らす先輩や、
絶対服従で性格がひねくれちゃった後輩しかいない部活になってしまってました。
下手くそなくせに、みんな過去の栄光にしがみついてて、
まともに面倒を見てくれない顧問の先生をそれでも崇めてる。
変な部活でしたね。
一年の終わりごろ、さすがに嫌気が差してやめようかと思ってました。
でもそんな時、長年君臨した顧問の先生が転任する、という話が部内を駆け巡りました。
それであと3ヶ月だけ頑張ろうって決めて、部活を続けたんです。
賭けは吉と出ました。
新任の顧問の先生は、今までのたるみきった部にとっては、
本当に厳しく感じられました。
まぁ、アタリマエのことを当たり前に教えてくれてるだけだったんですが、
それでもみんな逆恨みしてやめていきましたね。
私が一年の時、ひと学年で100人前後いた部員が、
わずか2ヶ月で全学年合わせて60名前後まで減りましたから。
その後もどんどん減り続けたおかげで、
楽器を初めて持ったばかりの一年生まで駆り出さないと
コンクールに出られなかったくらいです。
この顧問の先生からは、本当にいろいろなことを学ばせていただきました。
練習のしかた。
地道な努力を知らぬ間に誰かが見てくれているという喜び。
そして、リーダーシップのあり方。
長いこと顧問の先生は、畏れられる以上に憎まれ続けました。
中学生ながらに、つまらないプライドと逆恨みの理不尽さを目の当たりにしたものです。
生徒からの反発だけでなく、保護者やOB会からの風当たりも凄まじかったようです。
でも、どれだけ憎まれようが陰口たたかれようが理解者が少なかろうが、
先生はいっさいブレることがなかった。
指導者としての背中を見せ続けてくれる大人と若くして出会えたことは、
本当に私にとって幸運なことだったと今でも思います。
最初あれだけ反発していた部員たちも、
いつの間にかすっかり先生のことを尊敬して忠実になってました。
うちの学校はバレンタインにチョコを学校に持ち込むのが禁止されてたので、
みんなで相談して先生の自宅に宅急便でチョコレート送ったことも、いい思い出です(´∇`)
そんな体験があるので、今回のドラマにも強い興味を惹かれてしまったのでしょうね。
神奈川県立野庭高校は残念ながら2003年に統廃合で廃校になってしまったそうです。
母校という建物はなくなっても、
きっとかけがえのない時は一切傷つくことなく、輝き続けているんでしょうね。
↑自由曲は、審査員全員が満点を付けたという伝説の演奏
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参考:野庭高校吹奏楽部|音楽家松岡徳郎の日々ありんくりん
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